豊臣秀吉の側室「淀殿(よどどの)」の墓は、大阪府大阪市北区 「太融寺(たいゆうじ)」にあります。

※淀殿は「茶々」「淀君」と呼ばれることもあります。

 

佳木山太融寺(かぼくざんたいゆうじ)

墓所 佳木山太融寺(かぼくざんたいゆうじ)
住所 〒530-0051 大阪府大阪市北区太融寺町3-7
アクセス JR大阪駅から徒歩約10分、大阪メトロ谷町線「東梅田駅」から徒歩約7分

大阪・梅田の繁華街に「太融寺」があります。

821年(弘仁12年)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師・空海が創建したと伝わる高野山真言宗の寺院です。境内の北西側には、淀殿の墓と伝わる石塔があります。

太融寺公式サイト>>太融寺

 

淀殿の生没年・戒名・家紋データ

淀殿の生没年・戒名・家紋データ
生年 1567年(永禄10年)
没年 1615年(慶長20年)
命日 旧暦5月8日
享年(数え) 49歳
戒名 大虞院花顔妙香
家紋 五七の桐(ごしちのきり)

※家紋は夫「豊臣秀吉」より

 

淀殿(よどどの)とは?豊臣秀吉の側室

父は近江国・小谷城主の浅井長政、母は織田信長の妹・お市の方。名は茶々。浅井三姉妹の長女で、妹には初、江がいる。1573年(天正元年)、織田信長の攻撃により小谷城が落城すると、母や妹たちとともに城を脱出する。

1582年(天正10年)、お市の方が柴田勝家と再婚するが、翌1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いで勝家は羽柴秀吉に敗れる。お市は勝家とともに自害し、茶々ら三姉妹は秀吉に保護された。その後、秀吉の側室となり、1589年(天正17年)に鶴松、1593年(文禄2年)に秀頼を出産する。

1598年(慶長3年)に秀吉が亡くなると、幼い秀頼を後見して豊臣家を支える。しかし、徳川家康との対立が深まり、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣、翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣方は敗北。大坂城落城に際して、秀頼とともに自害した。