豊臣秀吉の家臣で「賤ヶ岳七本槍」の一人・福島正則の墓は、長野県上高井郡小布施町の「岩松院(がんしょういん)」にあります。

 

梅洞山岩松院(ばいとうざんがんしょういん)

墓所 梅洞山岩松院(ばいとうざんがんしょういん)
住所 〒381-0211 長野県上高井郡小布施町雁田615
アクセス 長野電鉄「小布施駅」から徒歩約30分、タクシーで約10分
駐車場 無料駐車場あり

1472年(文明4年)に開山された曹洞宗の寺院。福島正則の菩提寺の一つで、境内には遺骨が埋葬された霊廟があります。

正則は1619年(元和5年)に信濃国へ移封されると、岩松院を復興し、菩提寺としました。

また、葛飾北斎、小林一茶ゆかりの古寺でもあり、本堂には北斎が晩年に描いた天井画「八方睨み鳳凰図」があります。

境内には、一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という句を詠んだ蛙合戦の池もあります。

※福島正則の霊廟は冬期に入ることができません。

岩松院公式サイト>>岩松院

 

福島正則の生没年・戒名・家紋データ

福島正則の生没年・戒名・家紋データ
生年 1561年(永禄4年)
没年 1624年(寛永元年)
命日 旧暦7月13日
享年(数え) 64歳
戒名 海福寺殿前三品相公月翁正印大居士
家紋 福島沢瀉(ふくしまおもだか)

 

福島正則(ふくしままさのり)とは?賤ヶ岳七本槍の一人

尾張国生まれ。豊臣秀吉とは親戚にあたり、幼い頃から秀吉に仕える。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家軍に突撃して一番槍の武功をあげ、「賤ヶ岳七本槍」の筆頭として知られる猛将となる。

1595年(文禄4年)には尾張国・清洲城24万石を与えられる。秀吉の死後は石田三成と対立し、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に味方。戦後、安芸・備後約50万石を与えられ、広島城主となる。

しかし、1619年(元和5年)、広島城の石垣を幕府の許可なく修築したことを咎められ、改易処分を受ける。その後、信濃国・川中島などで4万5000石を与えられ、1624年(寛永元年)に亡くなった。