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清少納言の墓はどこ?「観音寺天塚堂」徳島県鳴門市里浦

清少納言の墓はどこ?「観音寺天塚堂」徳島県鳴門市里浦

「枕草子」の作者「清少納言(せいしょうなごん)」の墓は、徳島県鳴門市里浦の「観音寺天塚堂(かんのんじあまづかどう)」にあります。

 

観音寺天塚堂(かんのんじあまづかどう)

墓所 観音寺天塚堂(かんのんじあまづかどう)
住所 〒772-0021 徳島県鳴門市里浦字坂田479
アクセス 「観音寺」から北へ約750m(観音寺はJR鳴門駅から約2km)

清少納言が仕えた中宮・藤原定子の死後、流浪の旅に出た清少納言が里浦に流れ着いたという伝承があり、徳島県鳴門市里浦には清少納言の祈願寺「観音寺」があります。

 

清少納言の墓所がある「天塚堂(あまづかどう)」は、「観音寺」から北へ約750mの場所にあります。(観音寺はJR鳴門駅より約2kmの場所)

「観音寺」に行くと「天塚堂」への案内もあり、詳細は以下の公式サイトを確認してください。

観音寺公式サイト>>「天塚堂」

 

清少納言の生没年・戒名・家紋データ

清少納言の生没年・戒名・家紋データ
生年 康保3年(996年)頃 ※正確な生没年は不明
没年 万寿2年(1025年)頃 ※正確な生没年は不明
命日 不明
死因 不明
享年(数え) 不明
戒名 不明
家紋 不明

 

清少納言(せいしょうなごん)とは?「枕草子」の作者

「清少納言(せいしょうなごん)」は、平安時代中期の女房、作家、歌人、日本初の随筆「枕草子」の著者。父は著名な歌人・清原元輔で、母は伝説的な人物である「檜垣嫗」とする説もある。

一条天皇の時代、正暦4年(993年)冬頃から、女房として中宮・藤原定子に仕える。清少納言の後半生については、不明な点が多い。

定子に仕えたことから、宮廷生活や当時の貴族社会に精通し、その経験を基にした随筆「枕草子(まくらのそうし)」を執筆。「枕草子」は、平安時代の宮廷文化や日常生活の描写に優れ、現代でも高く評価されている。

 

関連墓所

清少納言と並ぶ、平安時代の女流作家・紫式部の墓は、京都府京都市北区「雲林院白毫院跡」にあります。詳しくは以下を参照してください。

紫式部の墓はどこ?「雲林院白毫院」跡地、京都府京都市北区
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