徳川家康の人質時代からの側近「鳥居元忠」の墓は、京都府京都市左京区「百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)」にあります。
百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)
名称 | 百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ) |
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住所 | 〒606-8225 京都府京都市左京区田中門前町103 |
アクセス | JR京都駅より市バス「百万遍」下車 |
「鳥居元忠」の墓は、「百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)」にあります。
「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城の戦い」で討ち死にした鳥居元忠を、親交のあった京の商人佐野四郎右衛門が「知恩院」内にある長源院に葬ったとされる。
また、「鳥居元忠」の位牌は、知恩寺内にある塔頭・龍見院(りゅうけんいん)にあります。(※位牌の公開は期間限定)
公式サイトは>>百萬遍知恩寺
鳥居元忠(とりいもとただ)の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 天文8年(1539年) |
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没年 | 慶長5年(1600年) |
命日 | 旧暦8月1日、新暦9月8日 |
享年(数え) | 62歳 |
死因 | 戦死 |
戒名 | 龍見院殿賀学宗慶大禅定門 |
家紋 | 鳥居笹 |
鳥居元忠(とりいもとただ)とは?
「鳥居元忠(とりいもとただ)」は、徳川家康が今川義元の人質時代から随伴した側近の一人。
天文8年(1539年)、岡崎奉行などを務めた松平氏以来の家臣・鳥居忠吉の三男として三河国碧海郡渡郷に生まれる。
永禄元年(1558年)、家康の初陣に加わり、「姉川の戦い」「三方ヶ原の戦い」などに従軍。天正3年(1575年)「長篠の戦い」においては石川数正と馬防柵の設置を担当。
慶長5年(1600年)、家康が上杉景勝討伐に出兵すると、山城伏見城を預けられる。その後、石田三成が大軍を率いて挙兵。
伏見城は「関ヶ原の戦い」前哨戦の舞台となり、石田三成の大軍勢に対し、1,800人の兵力の元忠は、玉砕覚悟の戦いで討ち死にした。その忠節から、元忠は「三河武士の鑑」と称される。