斎藤義龍の菩提寺は岐阜県岐阜市の「常在寺(じょうざいじ)」です。常在寺には斎藤家ゆかりの品が展示されています。
鷲林山常在寺(じゅりんざんじょうざいじ)
菩提寺 | 鷲林山常在寺(じゅりんざんじょうざいじ) |
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住所 | 〒500-8017岐阜県岐阜市梶川町9 |
アクセス | JR岐阜駅からバス「岐阜公園・歴史博物館前」下車徒歩5分 |
斎藤道三以後、斎藤家三代の菩提寺、国重要文化財の絹本著色斎藤道三像・義龍像を所蔵。本堂には複製が公開されています。
斎藤義龍の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1527年(大永7年) |
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没年 | 1561年(永禄4年) |
命日 | 旧暦5月11日、新暦6月23日 |
享年(数え) | 35歳 |
戒名 | 雲峯玄龍居士 |
家紋 | 五三桐(ごさんきり) |
斎藤道三の家紋は「二頭立波」ですが、息子・義龍の家紋は「五三桐」です。
斎藤義龍(さいとうよしたつ)とは?
斎藤道三の嫡男として生まれる。実の父は美濃国守護・土岐頼芸という説もあり。
道三は義龍に家督を譲り隠居、義龍は稲葉山城主となる。ところが道三は、弟の孫四郎や喜平次らを寵愛するようになり、義龍と道三の仲は疎遠なものとなった。
道三は義龍を廃嫡して正室・小見の方の子である孫四郎を嫡子にしようとした事から、両者の関係は悪化。
弘治2年(1556年)、義龍は長良川の戦いで道三軍と戦い、父・道三を敗死させる。永禄4年(1561年)5月11日に病死。
斎藤義龍のお墓参り体験「常在寺」
2022年8月20日(土)に斎藤義龍の菩提寺「常在寺」に行きました。
岐阜駅からバスで「岐阜公園・歴史博物館前」で下車します。5分くらい歩くと常在寺があります。
本堂の中には斎藤義龍の位牌がありました。
※本堂の中は撮影禁止でした。
父・斎藤道三の菩提寺も同じく「常在寺」です。「常在寺」のお墓参り体験の詳細については、以下の斎藤道三の記事を参照してください。
斎藤道三の墓はどこ?「道三塚」、菩提寺は「常在寺」岐阜県岐阜市斎藤道三の墓は、岐阜県岐阜市の「道三塚(どうさんづか)」にあります。また、斎藤道三の菩提寺は「常在寺(じょうざいじ)」です。「絹本著色斎藤道三像」(国指定重要文化財)を所蔵していて、本堂には複製が公開されています。...
「常在寺」を拝観しているのは私一人で、ヒッソリとしていました。本堂を見る時間は大体10分ぐらいでした。
他にも、岐阜市の戦国武将のお墓参りした旅行は、以下でまとめています。
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