徳川四天王の一人で猛将・本多忠勝の墓は、三重県桑名市の「浄土寺(じょうどじ)」にあります。
袖野山浄土寺(しゅうやさんじょうどじ)
墓所 | 袖野山浄土寺(しゅうやさんじょうどじ) |
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住所 | 〒511-0019三重県桑名市清水町45 |
アクセス | 「寺町」バス停下車、徒歩約4分 |
1601年(慶長6年)に伊勢国・桑名10万石の藩主となった本多忠勝の菩提寺。
浄土寺門前の飴屋に幽霊が買い来た伝説があり、現在でも8月23、24日の地蔵盆には「幽霊飴」が売られる。
本多忠勝の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1548年(天文17年) |
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没年 | 1610年(慶長15年) |
命日 | 旧暦10月18日、新暦12月3日 |
享年(数え) | 63歳 |
戒名 | 西岸寺殿前中書長誉良信大居士 |
家紋 | 本多立葵(ほんだたちあおい) |
本多忠勝(ほんだただかつ)とは?
徳川四天王の一人。幼い頃から徳川家康に仕え、1560年(永禄3年)13歳で「桶狭間の戦い」の前哨戦、大高城兵糧入れで初陣。
以後、家康の家臣として多くの武功を立て、57回戦場に臨んで活躍するが、体には一箇所の傷跡もなかったと伝えられる猛将。
1582年(天正10年)「本能寺の変」が起きると、家康が切腹しようと取り乱したのを忠勝が諌め、家康に「伊賀越え」を決心させた。
1590年(天正18年)家康が関東に入国すると、上総国・大多喜城主に任命される。1601年(慶長6年)に伊勢国・桑名10万石の藩主となり、桑名が最期の地となる。
関連墓所
「本多忠勝」以外の、徳川四天王の墓は以下を参照してください。