徳川家康に仕えた徳川十六神将の一人、忍者としても知られる「服部半蔵」の墓は、東京都新宿区の「西念寺(さいねんじ)」にあります。
専称山安養院西念寺(せんしょうざんあんにょういんさいねんじ)
墓所 | 専称山安養院西念寺(せんしょうざんあんにょういんさいねんじ) |
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住所 | 〒160-0011東京都新宿区若葉2-9 |
アクセス | JR「四谷駅」から徒歩8分 |
服部半蔵(正成)が、徳川家康の嫡男・松平信康の供養の為に開基した寺、服部家の菩提寺でもある。
境内には「服部半蔵正成公の墓」「服部半蔵正成公の槍」、そして半蔵が介錯に立ち会ったとされる徳川家康の嫡男・信康の「松平信康公供養塔」がある。
公式サイト>>専称山安養院西念寺
服部半蔵の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1542年(天文11年) |
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没年 | 1597年(慶長元年) |
命日 | 旧暦11月14日、新暦1月2日 |
享年(数え) | 55歳 |
戒名 | 専称院殿安譽西念大禅定門 |
家紋 | 源氏車に並び矢筈(げんじぐるまにならびやはず) |
服部半蔵(はっとりはんぞう)とは?
正式な名前は服部正成(はっとりまさなり・まさしげ)、徳川十六神将の一人で、鬼の半蔵の異名を持つ。父は伊賀流忍家出身の服部保長、その5男に生まれる。「半蔵」という名前は代々の通称として名乗った。
正成の父は伊賀から三河に移り、岡崎城主・松平清康、広忠の2代に仕える。半蔵もも同様に松平家の嫡男・家康に仕える。
1579年(天正7年)家康の嫡男・信康が武田信玄との内通の疑いがかけられ、信長により切腹が命じられる。その時、家康に介錯人を頼まれるが、正成は涙があふれて刀を振り下ろすことが出来なかったと伝えられる。
1582年(天正10年)織田信長が「本能寺の変」で討ち取られた時、堺に滞在していた家康を、伊賀・甲賀の土豪を動員して三河まで送り届けた「伊賀越え」が有名。
家康の関東入国に伴い正成も江戸に移り、現在は地名としても残る「半蔵門」の由来となった江戸城門の警備にあたった。