徳川家康の正室「築山殿(つきやまどの)」の墓は、静岡県浜松市 「西来院(せいらいいん)」にあります。
※大河ドラマなどでは「瀬名姫」「瀬名」と呼ばれることがあります。
髙松山西来院(こうしょうざんせいらいいん)
菩提寺 | 髙松山西来院(こうしょうざんせいらいいん) |
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住所 | 〒432-8013静岡県浜松市中区広沢2-10-1 |
アクセス | JR浜松駅からバスで約15分「広沢一丁目」下車、徒歩5分 |
閑静な住宅地の一角に「西来院」があります。
徳川家康の正室・築山殿の廟堂(月窟廟)だけでなく、家康の異父弟・松平源三郎康俊の墓もあります。
静岡県観光公式サイト>>西来院
築山殿の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1539年(天文8年)※諸説あり |
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没年 | 1579年(天正7年) |
命日 | 旧暦8月29日、新暦9月19日 |
享年(数え) | 不明 |
戒名 | 西来院殿政岩秀貞大姉 |
家紋 | 徳川葵(とくがわあおい) |
※家紋は夫「徳川家康」より
築山殿(つきやまどの)とは?家康の正室
父は今川義元の重臣・関口氏純、母は今川義元の妹(伯母という説も)、築山殿は今川義元の姪にあたる。
1557年(弘治3年)、今川家の人質として駿府にいた松平元信(徳川家康)と政略結婚。家康との間には嫡男・松平信康、長女・亀姫が生まれる。
今川義元が「桶狭間の戦い」で織田信長に討たれ、家康は岡崎城に戻るが、築山殿や子供は駿府に残る。後に人質交換により、家康のいる岡崎城で暮らし始める。家康は浜松城に居を移すが、築山殿は松平信康を後見するため岡崎に留まる。
1579年(天正7年)、信康に嫁いだ織田信長の長女・徳姫が築山殿と武田家との内通があったことなどを書いた「十二ヶ条の訴状」を信長に送り、家康の命で嫡男・信康は切腹、築山殿は処刑される。
関連墓所
徳川家康と築山殿の嫡男・松平信康の墓は、静岡県浜松市「清瀧寺」にあります。
松平信康の墓はどこ?清瀧寺 (せいりゅうじ)静岡県浜松市、家康の嫡男松平信康の墓は、静岡県浜松市「清瀧寺 (せいりゅうじ)」にあります。徳川家康が嫡男・松平信康を弔うために建立した寺で、境内には「信康廟」があります。...