あ行

徳川家康の墓はどこ?「久能山東照宮」静岡県静岡市駿河区

徳川家康の墓はどこ?「久能山東照宮」静岡県静岡市駿河区

天下統一を果たし、江戸幕府を開いた「徳川家康」の墓は、静岡県静岡市駿河区「久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)」にあります。

徳川家康の墓所として「日光東照宮」が有名です。他にも大阪「南宗寺」、京都府「圓光寺」などにも墓があります。

当サイトでは、静岡・駿河という家康に縁深い「久能山東照宮」の情報をピックアップしています。

 

久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)

名称 久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)
住所 〒422-8011 静岡県静岡市駿河区根古屋390
アクセス JR静岡駅より路線バスで約45分「日本平ロープウェイ」下車⇒ロープウェイで約5分

「久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)」は、元和2年(1616年)に徳川家康の遺命により、家康の遺骸が葬られた場所です。

家康の死後、2代将軍・徳川秀忠の命で久能山東照宮が創建、家康の遺言では「駿河国の久能山に葬ること、江戸の増上寺で葬儀を行うこと、三河国の大樹寺に位牌を納めること、一周忌後に日光山に小堂を建てること」が記されています。

徳川家康の墓所は「日光東照宮」が有名で、全国にも複数存在します。当サイトでは徳川家康に縁深い静岡・駿河にある「久能山東照宮」の情報を紹介しています。

「久能山東照宮」の境内には、徳川家康公の遺骸を埋葬した神廟(しんびょう)(重要文化財)があります。

「久能山東照宮」では、徳川家康の命日4月17日に合わせて毎年、「御例祭」が行われています。

公式サイトは>>久能山東照宮

 

徳川家康の生没年・戒名・家紋データ

徳川家康の生没年・戒名・家紋データ
生年 天文11年(1543年)
没年 元和2年(1616年)
命日 旧暦4月17日、新暦6月1日
享年(数え) 75歳
死因 病死
戒名 安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士
家紋 徳川葵(とくがわあおい)

 

徳川家康(とくがわ・いえやす)とは?

「徳川家康(とくがわ・いえやす)」は三河岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まる。幼名「竹千代」。

幼少期は織田家の人質となり尾張で2年過ごした後、今川義元の人質として駿府に移る。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討ち死にすると、家康は独立して岡崎に戻り、やがて織田信長と同盟を結ぶ。家康は「三河一向一揆」を鎮圧、三河を統一し、姓を「松平」から「徳川」に改める。

1573年「三方ヶ原の戦い」では、武田信玄の軍勢に大敗。1575年「長篠の戦い」で武田勝頼を破り、駿河に本拠を移す。1582年、堺に滞在中「本能寺の変」が起こり、服部半蔵などと共に「伊賀越え」で三河に戻る。

1584年「小牧・長久手の戦い」では豊臣秀吉と戦い、その後和睦し、秀吉に従う。秀吉の死後、家康は五大老の筆頭として権力を握り、1600年「関ヶ原の戦い」で石田三成を破り、天下を掌握。

1603年、征夷大将軍となった家康は江戸幕府を開く。1615年「大坂の陣」で豊臣家を滅ぼし、260年以上続く太平の世を築く。

 

関連墓所

松本潤さんが主人公・徳川家康を演じた、2023年大河ドラマ「どうする家康」に登場する武将のお墓は、以下でまとめています。

「どうする家康」登場武将の墓まとめ/一覧【2023年NHK大河ドラマ】
「どうする家康」登場武将の墓まとめ/一覧【2023年NHK大河ドラマ】2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場した、武将・姫のお墓を一覧にして紹介します。...