田沼意知を江戸城内で襲撃した旗本「佐野政言」の墓は、東京都台東区の「徳本寺(とくほんじ)」にあります。
徳本寺(とくほんじ)
墓所 | 徳本寺(とくほんじ) |
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住所 | 〒111-0035 東京都台東区西浅草1-3-11 |
アクセス | 銀座線「田原町駅」より徒歩約3分 |
徳本寺の墓地には画家の宋紫石や、「世直し大明神」として崇められた佐野政言の墓がある。
台東区公式サイト>>佐野善左衛門墓
佐野政言の生没年・戒名・家紋データ

生年 | 1757年(宝暦7年) |
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没年 | 1784年(天明4年) |
命日 | 旧暦4月3日、新暦5月21日 |
享年(数え) | 28歳 |
死因 | 切腹 |
戒名 | 元良印釈以貞居士 |
家紋 | 剣木瓜 |
佐野政言(さの・まさこと)とは?
佐野政言(さの・まさこと)は、江戸幕府旗本で、田沼意次・意知親子の権勢が最高潮だった時期に仕えていた人物です。
田沼時代の重商主義政策や賄賂政治に不満を抱いていたとされ、天明4年(1784)3月24日、江戸城内で若年寄・田沼意知を襲撃し、重傷を負わせました。
この事件は江戸城内という幕府の中枢で起きた異例の暗殺劇で、田沼家の失脚を決定づけるきっかけとなりました。政言の動機については、田沼政治への憤激とする説、反田沼派の黒幕説など諸説がありますが、幕府は「乱心」として片付けています。
意知が亡くなった翌日、4月3日に政言は切腹を命じられました。
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