徳川四天王の一人で上野国館林藩の初代藩主・榊原康政の墓は、群馬県館林市の「善導寺(ぜんどうじ)」にあります。
終南山善導寺(しゅうなんざんぜんどうじ)
墓所 | 終南山善導寺(しゅうなんざんぜんどうじ) |
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住所 | 〒374-0004群馬県館林市楠町3692 |
アクセス | 東武伊勢崎線「館林駅」から、路線バスにて「アゼリアモール前」下車、徒歩5~7分 |
榊原康政が館林城主に赴任の後、1606年(慶長11年)に亡くなると、「善導寺」が菩提寺となる。榊原康政の墓の他、2代当主・榊原康勝など、榊原家関係者5基の墓石が並ぶ。
公式サイトは>>終南山善導寺
榊原康政の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1548年(天文17年) |
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没年 | 1606年(慶長11年) |
命日 | 旧暦5月14日、新暦6月19日 |
享年(数え) | 59歳 |
戒名 | 養林院前太守職上誉見向大禅定門 |
家紋 | 榊原源氏車(さかきばらげんじぐるま) |
榊原康政(さかきばらやすまさ)とは?
三河の武将・榊原長政の次男。幼い頃から勉学に励み、岡崎に帰城した徳川家康に13歳で見出され小姓となる。初陣の三河一向一揆鎮圧の功により、家康から「康」の一字を与えられた。
「小牧・長久手の戦い」では、康政は秀吉の織田家乗っ取りを非難する檄文を書き、これに怒った秀吉は康政の首に10万石の懸賞をかけるも、結局、果たせなかったという逸話がある。
1590年(天正18年)「小田原征伐」の後、関東に移封になった徳川家康に従い、館林10万石を与えられ、上野国館林藩の初代藩主となる。
関連墓所
「榊原康政」以外の、徳川四天王の墓は以下を参照してください。