酒井忠次の墓は、京都府京都市の「知恩院塔頭・先求院(せんぐいん)」にあります。
塔頭(たっちゅう)とは、大寺院の敷地内(ちかく)にある小寺や別坊のことです。酒井忠次の菩提寺「先求院」は、知恩院の近くにあります。
華頂山知恩院(かちょうざんちおんいん)塔頭・先求院(せんぐいん)
墓所 | 華頂山知恩院(かちょうざんちおんいん)塔頭・先求院(せんぐいん) |
---|---|
住所 | 〒605-0062京都府京都市東山区林下町403 |
アクセス | 地下鉄「東山駅」下車徒歩8分(※1) |
(※1)知恩院へのアクセス方法になります。
酒井忠次の菩提寺が「先求院」です。境内には「酒井忠次公御廟所」の石標があります。
公式サイトは>>華頂山知恩院
酒井忠次の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1527年(大永7年) |
---|---|
没年 | 1596年(慶長元年) |
命日 | 旧暦10月28日、新暦12月17日 |
享年(数え) | 70歳 |
戒名 | 先求院天誉高月縁心居士 |
家紋 | 丸に片喰(まるにかたばみ) |
酒井忠次(さかいただつぐ)とは?
徳川四天王の一人。最初は徳川家康にの父・松平広忠に仕える。広忠の没後、嫡男・家康に仕え駿河行きに同行、家康の教育係ともいえる武将。
政治的手腕にも優れ、石川数正と共に家老として徳川体制の基礎作りに貢献する。
「海老すくい」という踊りが得意で、家老にもかかわらず宴会で踊りを見せ、大いに盛り上げたという。
関連墓所
徳川家康を支えた家老のもう一人、石川数正の墓は愛知県岡崎市「本宗寺」にあります。詳しくは以下を参照してください。
石川数正の墓はどこ?本宗寺(ほんしゅうじ)愛知県岡崎市石川数正の墓は、愛知県岡崎市の「本宗寺(ほんしゅうじ)」にあります。本宗寺の境内には「石川数正の墓」が安置されています。...
他にも「酒井忠次」以外の、徳川四天王の墓は以下を参照してください。