夫の代わりに曳馬城主となり、女城主として徳川家康と戦った「お田鶴の方(椿姫)」の墓は、静岡県浜松市 「椿姫観音堂(つばきひめかんのんどう)」にあります。
※墓という表現はあってないかもしれませんが、「お田鶴の方」を祀った観音堂になります。
椿姫観音堂(つばきひめかんのんどう)
名称 | 椿姫観音堂(つばきひめかんのんどう) |
---|---|
住所 | 〒430-0942静岡県浜松市中区元浜町133 |
アクセス | JR浜松駅から徒歩約15分 |
静岡県浜松市の交差点の角に「お田鶴の方」を祀った、「椿姫観音堂」があります。
静岡県観光公式サイト>>椿姫観音
お田鶴の方の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 不明 |
---|---|
没年 | 1568年(永禄11年) |
命日 | 旧暦12月、新暦12月 |
享年(数え) | 不明 |
戒名 | 不明 |
家紋 | 鉸具に雁金(かこにかりがね) |
※家紋は夫「飯尾連龍」の情報より
お田鶴の方(おたづのかた)とは?
父は鵜殿長持、兄は今川義元の重臣・鵜殿長照。今川家の家臣、浜松城の前身である曳馬城主・飯尾連龍(いのおつらたつ)に嫁ぐも、夫は今川氏真に謀殺される。
夫の代わりに女城主として曳馬城を守り、敵対関係となった徳川家康と戦い、命を落とす。
母同士が義理の姉妹である築山殿(徳川家康の正室)は「お田鶴の方」の死を弔うため、椿の木を植えたことから「椿姫」の名の由来となった。