徳川四天王の一人で彦根藩の初代藩主・井伊直政の墓は、滋賀県彦根市の「清凉寺(せいりょうじ)」にあります。
祥壽山清凉寺(しょうじゅさんせいりょうじ)
墓所 | 祥壽山清凉寺(しょうじゅさんせいりょうじ) |
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住所 | 〒522-0007滋賀県彦根市古沢町1100 |
アクセス | JR琵琶湖線 「彦根」下車、徒歩20分 |
井伊直政の墓所として、次男・井伊直孝が開基した寺院が「祥壽山清凉寺(しょうじゅさんせいりょうじ)」です。以来、井伊家・代々の菩提寺となる。歴代の彦根藩主の肖像画もある。
井伊直政の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1561年(永禄4年) |
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没年 | 1602年(慶長7年) |
命日 | 旧暦2月1日、新暦3月24日 |
享年(数え) | 42歳 |
戒名 | 祥壽院殿清凉泰安大居士 |
家紋 | 彦根橘(ひこねたちばな) |
井伊直政(いいなおまさ)とは?
徳川四天王の一人。今川家の家臣・井伊直親の嫡男。「桶狭間の戦い」の後、直親が今川氏真に誅殺されると、井伊直虎が女城主として井伊氏の当主となり、直政を育てる。
1575年(天正3年)鷹狩りをしていた家康に見出され、小姓として仕える。家康からの信頼も厚く、政治的な手腕と戦闘力を認められていた。
武田家滅亡後、直政は山県昌景隊の赤揃えを採用し、鎧・兜・武具まで朱に塗り「井伊の赤揃え」とした。
1600年(慶長5年)「関が原の戦い」では、先鋒として西軍と戦う。戦功により加増され彦根藩の藩祖となるが、「関ケ原の戦い」で受けた傷が原因で2年後に亡くなった。
関連墓所
「井伊直政」以外の、徳川四天王の墓は以下を参照してください。