初期の鎌倉幕府を支えた2代目執権・北条義時の菩提寺は、静岡県伊豆の国市「北條寺(ほうじょうじ)」です。
他にも歴史書「吾妻鏡」によると、北条義時の墓として史跡法華堂跡(しせきほっけどうあと)もあります。国指定史跡ですが、現在は更地となっています。
当サイトでは、お墓参りができる「北條寺」の情報をピックアップしています。
巨徳山北條寺(ことくさんほうじょうじ)
菩提寺 | 巨徳山北條寺(ことくさんほうじょうじ) |
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住所 | 〒410-2221静岡県伊豆の国市南江間862-1 |
アクセス | 伊豆箱根鉄道「韮山」駅から徒歩25分(バス「北條寺」徒歩1分) |
北条義時が創建した寺。義時の嫡子である安千代丸が大蛇に襲われ命を失った時、息子の菩提を弔うべく寺を創建したとされる。
義時が急死すると、嫡男・泰時らが北條寺に義時の墓を建てたと伝えられる。北條寺の境内には「北条義時夫妻の墓(伊豆の国市指定文化財)」がある。
公式サイトは>>巨徳山北條寺
北条義時の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1163年(長寛元年) |
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没年 | 1224年(元仁元年) |
命日 | 旧暦6月13日、新暦7月1日 |
享年(数え) | 62歳 |
戒名 | 北条寺殿前相州大守観海禅定門 |
家紋 | 三つ鱗(みつうろこ) |
北条義時(ほうじょうよしとき)とは?
平安時代末期から鎌倉時代初期の伊豆の武士。北条時政の次男であり、源頼朝の正室・北条政子の弟。
流罪で鎌倉に来た源頼朝を父・時政と支援。政子と頼朝の結婚により、北条家と頼朝の関係が強まる。頼朝の平家打倒の挙兵を助け、父と共に鎌倉幕府の成立に貢献する。
頼朝没後も鎌倉幕府の2代目執権となり、北条家の執権政治を盤石のものにする。承久の乱の3年後、1224年(元仁元年)6月13日に62歳で急死。
関連墓所
北条義時の父・時政の墓は静岡県伊豆の国市「願成就院」にあります。詳しくは以下を参照してください。
北条時政の墓はどこ?願成就院(がんじょうじゅいん)静岡県伊豆の国市北条時政の墓は、静岡県伊豆の国市「願成就院(がんじょうじゅいん)」にあります。願成就院には仏師・運慶の国宝「阿弥陀如来坐像」など5体を所蔵しています。...