鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室・北条政子の墓は、神奈川県鎌倉市「寿福寺(じゅふくじ)」にあります。
亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさんじゅふくきんごうぜんじ)
菩提寺 | 亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさんじゅふくきんごうぜんじ) |
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住所 | 〒248-0011神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7 |
アクセス | JR鎌倉駅西口から徒歩10分 |
源頼朝が亡くなった翌年の正治2年(1200年)、北条政子が創建したお寺が「寿福寺(じゅふくじ)」です。
正式名称は「亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさんじゅふくきんごうぜんじ)」になります。
境内裏手の墓地にあるやぐらには、北条政子の墓(五輪塔)だけでなく、政子の次男・源実朝の墓もあります。
北条政子の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 保元2年(1157年) |
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没年 | 嘉禄元年(1225年) |
命日 | 旧暦7月11日、新暦8月16日 |
享年(数え) | 69歳 |
戒名 | 安養院殿如実妙観大禅定尼 |
家紋 | 三つ鱗(みつうろこ) |
北条政子(ほうじょうまさこ)とは?
鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。平治の乱で敗れ伊豆に流罪となった源頼朝と周囲の反対を押し切り妻となる。政子の子供には頼家(2代将軍)、実朝(3代将軍)、大姫、三幡がいる。
頼朝亡きあと征夷大将軍となった頼家、実朝が暗殺された後、京から招いた2歳と幼い三寅(後の藤原頼経)の後見となって政治の撃剣を握る。尼将軍(あましょうぐん)とも称された。
関連墓所
源頼朝と北条政子の次男・実朝の墓も、同じ神奈川県鎌倉市「寿福寺」にあります。詳しくは以下を参照してください。
源実朝の墓はどこ?「寿福寺」神奈川県鎌倉市、鎌倉幕府3代征夷大将軍源実朝の墓は、神奈川県鎌倉市「寿福寺(じゅふくじ)」にあります。境内裏手の墓地にあるやぐらには、北条政子と源実朝の墓(五輪塔)が存在します。...