武田信玄の重臣で、武田二十四将の一人・穴山梅雪(信君)の墓は、静岡県静岡市「霊泉寺(れいせんじ)」にあります。
他にも京都府京田辺市の「飯岡山共同墓地」、山梨県韮崎市の「満福寺」にも墓がります。
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円悟山霊泉寺(えんござんれいせんじ)
菩提寺 | 円悟山霊泉寺(えんござんれいせんじ) |
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住所 | 〒424-0202静岡県静岡市清水区興津井上町234-1 |
アクセス | 東名清水ICから車で20分 |
穴山梅雪開基の寺で、梅雪の墓は裏山にある。静岡県指定文化財「穴山梅雪画像」を所蔵している。
穴山梅雪の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1541年(天文10年) |
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没年 | 1582年(天正10年) |
命日 | 旧暦6月2日、新暦6月21日 |
享年(数え) | 42歳 |
戒名 | 霊泉寺殿古道賢集公大居士 |
家紋 | 三つ盛り花菱(みつもりはなびし) |
穴山梅雪(あなやまばいせつ)とは?
名は信君(のぶただ)、号は梅雪(ばいせつ)。武田家の一門・穴山家の当主。母は武田信玄の姉、正室には信玄の次女を迎え、武田家と親族関係にあった。駿河が武田領になると駿河・江尻城主となる。
武田信玄の死後、武田家当主となった勝頼との不仲が進み、武田家滅亡の直前に織田信長・徳川家康に寝返る。武田親族唯一の生存者となったが、京都に滞在中の1582年(天正10年)「本能寺の変」が起こり、宇治田原で土民の襲撃を受けて亡くなる。