「甲斐の虎」と呼ばれた戦国大名・武田信玄の墓は、山梨県甲州市「恵林寺(えりんじ)」にあります。
他にも山梨県甲府市「武田信玄公墓所(火葬塚)」や、愛知県設楽町「福田寺」など墓が複数存在。また、信玄の石棺が諏訪湖の真ん中に沈められた「信玄水中墓伝説」もあります。
当サイトでは、「武田信玄」の菩提寺で武田家家臣の墓が約70基ある「恵林寺」の情報をピックアップしています。
乾徳山恵林寺(けんとくさんえりんじ)
菩提寺 | 乾徳山恵林寺(けんとくさんえりんじ) |
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住所 | 〒404-0053山梨県甲州市塩山小屋敷2280 |
アクセス | JR中央線「塩山駅」南口からバス「西沢渓谷行」恵林寺前下車 |
武田信玄の菩提寺であり、信玄の嫡男・勝頼は遺言に従い、3年間信玄の死を秘密にした後、「恵林寺」で本葬儀を行ったとされる。
信玄だけでなく、武田家家臣の墓・約70基が並びます。※「武田信玄公墓所」は、毎月12日のみ特別公開
「恵林寺」には「信玄公宝物館」があり、武田信玄にまつわる宝物が展示されています。
公式サイト>>乾徳山恵林寺
武田信玄の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 1521年(大永元年) |
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没年 | 1573年(元亀4年) |
命日 | 旧暦4月12日、新暦5月13日 |
享年(数え) | 53歳 |
戒名 | 恵林寺殿機山玄公大居士 |
家紋 | 武田菱(たけだひし) |
武田信玄(たけだしんげん)とは?
甲斐守護・武田信虎の嫡男。はじめは「晴信」、のちに出家して「信玄」を称す。
1541年(天文10年)父・武田信虎を追放して家督を継ぎ、甲斐の守護大名となる。直後より信濃への侵攻を開始、諏訪氏・小笠原氏・村上氏などを攻略して信濃を制圧。
1553年(天文22年)越後・上杉謙信が信濃に出兵し、川中島で対決。以来12年、5回に渡って激戦を展開。1569年(永禄12年)今川氏真の所領だった駿河侵攻を行う。同時に徳川家康が遠江に進攻、今川氏が滅亡する。
1572年(元亀3年)上洛を目指して遠江・三河に出兵、「三方ヶ原の戦い」徳川・織田連合に大勝するが、翌年陣中で病床に伏し、信濃駒場で病死。