「源氏物語」の作者「紫式部(みらさきしきぶ)」の墓は、京都府京都市北区 「雲林院白毫院(うんりんいんびゃくごういん)跡」にあります。
雲林院白毫院(うんりんいんびゃくごういん)跡
墓所 | 雲林院白毫院(うんりんいんびゃくごういん)跡 |
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住所 | 〒603-8165 京都府京都市北区紫野西御所田町 |
アクセス | 市バス・堀川鞍馬口下車 北へ数分 |
紫式部の墓所は、京都市北区の「堀川北大路」を下った西側にあります。
「源氏物語」の注釈書「河海抄」に、「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と明記されており、墓は「雲林院白毫院」の跡にあるとされます。
「雲林院白毫院」は紫式部が、晩年を過ごしたと言われる場所です。
「紫式部」の墓の隣には、「小野篁(おののたかむら)」の墓もあります。「小野篁」は平安時代の貴族・歌人であり、昼間は朝廷で官吏を、夜は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が残る人物です。
「紫式部」の墓が隣にあるのは、愛欲を描いた「源氏物語」を書き、地獄に落とされた紫式部を、「小野篁」が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づきます。
紫式部の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 天禄元年(970年)※諸説あり |
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没年 | 長和3年(1014年)※諸説あり |
命日 | 不明 |
死因 | 不明 |
享年(数え) | 不明 |
戒名 | 不明 |
家紋 | 下がり藤(さがりふじ) |
※紫式部は「藤原為時」の娘のため、藤原家の家紋「下り藤」とした
紫式部(むらさきしきぶ)とは?「源氏物語」の作者
「紫式部(むらさきしきぶ)」は、平安時代の歌人で、日本最古の長編小説「源氏物語」の作者。正確な生没年は不明で、970年から978年の間に生まれ、1014年から1031年の間に没したと推定される。
1005年頃、藤原道長の長女、一条天皇の中宮彰子に仕える。道長の支援を受け、「源氏物語」を完成させた。父は藤原為時、夫は藤原宣孝で、娘に大弐三位がいる。
「源氏物語」は貴族社会の愛と失敗を描いた物語で、世界最古の長編小説の一つとされる。「源氏物語」は、当時の社会、恋愛観、服装、季節行事などを詳細に描写し、その後の日本文学に多大な影響を与えた。
関連墓所
紫式部と並ぶ、平安時代の女流作家・清少納言の墓は、徳島県鳴門市里浦「観音寺天塚堂」にあります。詳しくは以下を参照してください。