徳川家康の外交顧問として活躍した「三浦按針(ウィリアム・アダムス)」の墓は、長崎県平戸市「崎方公園(さきがたこうえん)内」にあります。
他にも神奈川県横須賀市の「塚山公園内」にある、按針塚にも墓碑があります。
当サイトでは、三浦按針が亡くなった長崎県平戸市にある「崎方公園」の情報をピックアップしています。
崎方公園(さきがたこうえん)
名称 | 崎方公園(さきがたこうえん) |
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住所 | 〒859-5102長崎県平戸市大久保町2529 |
アクセス | 平戸港交流広場(平戸市観光交通ターミナル)から徒歩15分 |
「三浦按針(ウィリアム・アダムス)」の墓は、「崎方公園内」にあります。
2020年、東京大学・山形大学らの研究グループにより、長崎県平戸市の伝・三浦按針墓から取り上げられた人骨を用いて、DNA分析や放射性炭素年代測定などの科学分析が実施されました。
人骨の出自、死亡時期、生前の食生活などから、三浦按針その人である可能性が高いとの結論が発表されています。
三浦按針(ウィリアム・アダムス)の生没年・戒名・家紋データ
生年 | 永禄7年(1564年) |
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没年 | 元和6年(1620年) |
命日 | 旧暦4月24日、新暦5月26日 |
享年(数え) | 56歳 |
死因 | 病死 |
戒名 | 寿量満院現瑞居士 |
家紋 | 不明 |
※三浦按針(ウィリアム・アダムス)の家紋は不明なため、仕えた徳川家康の家紋「徳川葵」を代用しています。
三浦按針(ウィリアム・アダムス)とは?
「ウィリアム・アダムス」は16世紀のイギリスの航海士。サムライの称号を得た最初の外国人で、日本名は「三浦按針(みうら・あんじん)」
「関ヶ原の戦い」が起こる半年前の1600年4月29日にオランダ船舶・リーフデ号で大分に漂着。豊臣政権の五大老の一人・徳川家康はウィリアム・アダムズを引見し、取り立てる。
「ウィリアム・アダムズ」は江戸幕府に仕え造船技術などを提供、通訳としても幕府と外国使節の交渉に参加。その功績から、相模国逸見(現在の横須賀)に領地を拝領、「三浦按針(みうら・あんじん)」の名前をもらい、日本人として生活を送る。
1616年に後ろ盾だった家康が死去すると、江戸幕府2代将軍・秀忠は海外貿易を長崎と平戸の2港のみに制限。平戸に移った按針は不遇の立場となり、1620年(元和6)平戸で病死。