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源実朝の墓はどこ?「寿福寺」神奈川県鎌倉市、鎌倉幕府3代征夷大将軍

源実朝の墓はどこ?「寿福寺」神奈川県鎌倉市、鎌倉幕府3代征夷大将軍

鎌倉時代初期の3代征夷大将軍・源実朝の墓は、神奈川県鎌倉市「寿福寺(じゅふくじ)」にあります。

他にも神奈川県秦野市に「源実朝公御首塚(みしるしづか)」があり、秦野市指定の史跡になっています。

当サイトでは、お墓参りがしやすい「寿福寺」の情報をピックアップしています。

 

亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさんじゅふくきんごうぜんじ)

菩提寺 亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさんじゅふくきんごうぜんじ)
住所 〒248-0011神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
アクセス JR鎌倉駅西口から徒歩10分

源頼朝が亡くなった翌年の1200年(正治2年)、正室の北条政子が創建したお寺が「寿福寺(じゅふくじ)」です。正式名称は「亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさんじゅふくきんごうぜんじ)」になります。

境内裏手の墓地にあるやぐらには、北条政子と源実朝の墓(五輪塔)があります。

 

源実朝の生没年・戒名・家紋データ

源実朝の生没年・戒名・家紋データ
生年 1192年(建久3年)
没年 1219年(建保7年)
命日 旧暦1月27日、新暦2月13日
享年(数え) 28歳
戒名 大慈寺殿正二位丞相公神儀
家紋 無紋(笹竜胆)

実朝の父で、鎌倉幕府を創設した源頼朝は「無紋(家紋なし)」とされています。そのため実朝も「無紋」とされていますが、源氏ゆかりの家紋として「笹竜胆(ささりんどう)」があります。

※当サイトでは、実朝の家紋に「笹竜胆」を使用しています。

 

源実朝(みなもとのさねとも)とは?

鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男。兄・頼家が征夷大将軍になるが鎌倉を追放され、12歳で実朝が3代征夷大将軍に就く。

鎌倉幕府の政治は執権を務める北条氏など御家人が行っていたが、実朝が成長するにつれて、政治に関与するようになる。

朝廷の後鳥羽上皇との繋がりを深め、官位の昇進も早く、武士として初めて右大臣に任ぜられる。1219年、昇進の拝賀儀式を行う鶴岡八幡宮で頼家の子・公暁に暗殺され、鎌倉幕府を開いた源氏将軍は断絶。

 

関連墓所

源実朝の母・北条政子の墓も、実朝と同じ神奈川県鎌倉市「寿福寺」にあります。詳しくは以下を参照してください。

北条政子の墓はどこ?「寿福寺」神奈川県鎌倉市、鎌倉幕府の尼将軍
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