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石川数正の墓はどこ?本宗寺(ほんしゅうじ)愛知県岡崎市

石川数正の墓はどこ?本宗寺(ほんしゅうじ)愛知県岡崎市

石川数正の墓は、愛知県岡崎市の「本宗寺(ほんしゅうじ)」にあります。

数正の墓は豊臣秀吉の家臣になってから信濃国松本を与えられたため、長野県松本市にある「兎川寺」「正行寺」にもあります。

当サイトでは、石川数正の出身地として縁深い愛知県岡崎市の「本宗寺」の情報をピックアップしています。

 

土呂殿本宗寺(とろでんほんしゅうじ)

墓所 土呂殿本宗寺(とろでんほんしゅうじ)
住所 〒444-0802愛知県岡崎市美合町平地50
アクセス 名鉄「美合駅」下車徒歩7分

応仁2年(1468年)、本願寺第八世の法主蓮如上人により創建。本宗寺の境内には「石川数正の墓」があります。

公式サイトは>>土呂殿本宗寺

 

石川数正の生没年・戒名・家紋データ

石川数正の生没年・戒名・家紋データ
生年 1533年(天文2年)
没年 1593年(文禄2年)
命日 不明
享年(数え) 61歳
戒名 寂音院殿靜誉了禅大居士位
家紋 石川竜胆(いしかわりんどう)

 

石川数正(いしかわかずまさ)とは?

徳川家康に仕えた古参の武将、家康の外交官として活躍した。酒井忠次と共に、家康の家老として徳川家を支える。永禄5年(1562年)には石川数正の尽力により、家康と信長は「清洲同盟」を締結する。

ところが、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの後、出奔して豊臣秀吉に仕える。秀吉からは信濃国10万石を与えられ、松本城主となる。

文禄2年(1593年)享年61歳で死去。没年には異説もあるため、「命日」は不明。

 

関連墓所

徳川家康を支えた家老のもう一人、酒井忠次の墓は京都府京都市「先求院」にあります。詳しくは以下を参照してください。

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